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東京地方裁判所 平成6年(ワ)9628号 判決

原告

有限会社日動

右代表者代表取締役

山王丸敏雄

右訴訟代理人弁護士

平林良章

被告

斉藤光元

右訴訟代理人弁護士

山下光

瀬古宜春

本田正士

國村武司

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  原告の請求

被告は、原告に対し、金三〇〇〇万円及びこれに対する平成三年一一月一日より支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告は、パチンコ店に換金用景品のライターの発火石を納入しているものであり、被告は、パチンコ店を経営する有限会社関口興産(以下「(有)興産」という。)の取締役であった。

2  (有)興産における資金の流出

(一) ((有)興産とその親会社)

(有)興産は、東京都江戸川区船堀七丁目において「葛西ホール」の名称の、また千葉県八千代市八千代台南一丁目において「駅前ホール」の名称のパチンコ店(以下まとめて「本件両店舗」という。)を経営していた。

(有)興産の代表取締役は関口民蔵(以下「民蔵」という。)であったが、民蔵は、(有)興産の親会社である有限会社関口創業(以下「(有)創業」という。)の代表取締役を兼任していた。民蔵は平成三年二月一日に死亡し、民蔵の妻の関口千代子(以下「千代子」という。)がその跡を継いで右各会社の代表取締役に就任した。

(二) ((有)興産の資金の(有)創業への流用)

民蔵及び千代子は、(有)創業の金融機関に対する借入金の支払いのために(有)興産の資金を流用した。

すなわち、(有)創業は、関口興業株式会社(以下「関口興業(株)」という。)などその子会社((有)興産を除く。)のために、金融機関より借入れをしてそれら子会社の店舗用の土地建物を取得してこれを右子会社に賃貸し、その賃貸料収入によって金融機関に対する弁済を行ってきたのであるが、昭和六二年ころから店舗用の不動産を相次いで取得したため借入金が増大し、昭和六三年下期にはその支払利息だけでも家賃収入を上回るようになった。そこで、民蔵及び千代子は、(有)創業の子会社の中で最も高利益をあげていた(有)興産の資金を、(有)創業が金融機関に支払うべき利息支払資金に流用した。右流用額の合計は昭和六一年度から昭和六三年度までで二億〇一七二万九六七五円であり、平成元年度から後記(三)の倒産に至るまでも三億円を下らない。

(三) ((有)興産の倒産)

右のような資金流出の結果、(有)興産は、平成三年一〇月二一日、不渡りを出して倒産した。

3  被告の義務違反

(一) 被告は、(有)創業を親会社とする関連会社全体(以下「関口グループ」という。)の総括部長の立場にあり、関口グループにおいては千代子に次いで第二位の地位にあったものであり、(有)興産の取締役として年額一二〇万円の役員報酬を得ていた。

そして、被告は、右総括部長として、千代子のもとに集められたグループ内各社の資金の支払いを担当し資金の使途をよく知っていたところ、2(二)のとおり(有)興産の資金を流用したものであり、(有)興産の取締役として職務を行うにつき重大な過失により資産保管義務に違反したというべきである。

(二) また、仮に、(有)興産の資金流出が民蔵及び千代子の決定に基づくものであったとしても、(有)興産の取締役としてその資金が適正に運用されるように代表取締役の行為を監視すべき義務があるにもかかわらず、この任務を解怠し、(有)興産を危殆に陥らせる民蔵及び千代子による資金運用の方針を制御せず、これに追従して(有)興産の資産を喪失させた。したがって、被告は、重大な過失により取締役としての監視義務に違反したというべきである。

4  原告の損害

原告は、本件両店舗に換金用景品である発火石を納品していたが、被告の任務懈怠に基づく(有)興産の倒産により、左記のとおり同社に対する合計一億六八二七万二〇〇〇円の売掛金債権が回収不能となり、同額の損害を被った。

(一) 葛西ホール分(月末締切翌月二〇日払い)

・平成三年九月一日から同月三〇日まで分

単価 五二〇円 四万一六〇〇個

代金二一六三万二〇〇〇円

・同年一〇月一日から同月二〇日まで分

単価 五二〇円 三万〇四〇〇個

代金一五八〇万八〇〇〇円

(二) 駅前ホール分(一日から一〇日までの分は二〇日払い。一一日から二〇日までの分は月末払い。二一日から月末までの分は翌月一〇日払い。)

・平成三年九月一〇日締切分

単価二〇八〇円 一万二五〇〇個

単価 二〇八円 九〇〇〇個

代金合計二七八七万二〇〇〇円

・平成三年九月二〇日締切分

単価二〇八〇円 一万一〇〇〇個

単価 二〇八円 九〇〇〇個

代金合計二四七五万二〇〇〇円

・平成三年九月三〇日締切分

単価二〇八〇円 一万三〇〇〇個

単価 二〇八円 九〇〇〇個

代金合計二八九一万二〇〇〇円

・平成三年一〇月一〇日締切分

単価二〇八〇円 一万一五〇〇個

単価 二〇八円 九〇〇〇個

代金合計二五七九万二〇〇〇円

・平成三年一〇月二〇日締切分

単価二〇八〇円 一万〇五〇〇個

単価 二〇八円 八〇〇〇個

代金合計二三五〇万四〇〇〇円

5  結語

よって、原告は、被告に対し、有限会社法三〇条の三に基づき、右損害の内金三〇〇〇万円及びこれに対する損害発生の後である平成三年一一月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(当事者)について

請求原因1の事実は認める。

2  同2((有)興産における資金の流出)について

同2の事実のうち、(有)興産が本件両店舗を経営していたこと、民蔵が(有)興産と(有)創業の代表取締役であったが、同人が死亡した平成三年二月一日以降、千代子が(有)興産及び(有)創業の代表取締役を兼任していたこと、(有)創業が関連会社に店舗用土地建物を賃貸していたこと及び(有)興産が原告主張の日に不渡りを出して倒産したことは認め、(有)創業が(有)興産の親会社であることは否認し、その余の事実は不知。

3  同3(被告の義務違反)について

(一) 同3の事実のうち、平成三年二月当時、被告が(有)興産の取締役であったことは認めるが、その余は否認し、主張は争う。

(二) 被告は、関口グループ内の関三商事株式会社の従業員であったが、(有)興産設立の際、民蔵から新しく会社を作るので、迷惑をかけないから名前だけ役員になって欲しいと頼まれ、やむなく取締役になったものである。(有)興産の決算報告書上は被告に取締役報酬が支払われたことになっているが、被告は、実際には報酬を受け取っていない。被告は、(有)興産の出資持分を取得したこともない。被告が(有)興産でしていた仕事は、葛西ホールでのパチンコ台の釘調整程度であり、被告が(有)興産の経営及び経理等の業務執行に関与したことはない。民蔵死亡後は、千代子が(有)興産の経営及び経理等の業務の全てを決定し処理していたのであって、被告は、千代子の指示に基づき同人の手足として(有)興産の小切手を振り出していたに過ぎない。

(三) また、有限会社においては、代表取締役のみが対外的対内的業務執行権を有し、代表取締役以外の取締役はこれらの業務執行権を有しないのであるから、代表取締役が定められている場合には、代表取締役以外の取締役の監視・監督義務は、原則として大幅に軽減されるべきである。(有)興産においても、定款上取締役会の制度はなく、実際上も代表取締役の交代のときを除いて取締役会が開かれたことはなかった。

したがって、仮に千代子に任務違反があったとしても、被告には右任務違反行為を監視、監督するにつき具体的な義務違反の事実はなく、また仮にこれがあったとしても、右義務違反につき故意又は重大な過失はなく、また、原告主張の損害との間に因果関係もない。

4  同4(原告の損害)について

同4の事実のうち、原告が本件両店舗に換金用景品の発火石を納品していたことは認めるが、その余の事実は不知。

原告が主張する取引が行われた当時、(有)興産はほとんど資産を有していなかった。したがって、(有)興産が原告主張の売掛金を支払うに足る資産を有していたことを前提とする原告の損害額の主張は根拠がない。

5  同5(結語)について

同5は争う。

第三  判断

一  原告は、被告が取締役としての任務を懈怠したため(有)興産が倒産し、その結果、原告が売掛金債権を回収できないという損害を被ったと主張する。そこで、被告に任務懈怠があったか否か、また仮に右任務懈怠があったとしてもそれと原告の損害との間に因果関係が認められるか否かを検討する。

右の点につき、証拠によれば、次の事実が認められる。(認定に供した主な証拠または証拠部分を、当該事実の末尾に略記する。)

1  (関口グループの誕生と発展)

(一) 民蔵は、昭和二八年ころから映画館の経営を業とする株式会社葛西橋映画劇場を経営していたが、昭和四六年、右会社の名を関口興業株式会社(関口興業(株))に改め、江東区東砂所在のその本店ビルに「葛西ボウル」の名称でボーリング場及びパチンコ店等を開店し、その経営を行うようになった。(乙一の二項、乙二の三項)

(二) 民蔵は、昭和四六年、(有)創業を設立して自ら代表取締役となった。(有)創業は、パチンコ店等の店舗や敷地を取得し、これを関口グループ内の関連会社に賃貸するという営業を行っていた。(甲三、乙一の三項)

(三) 民蔵は、その後もパチンコ店等の経営を拡大し、昭和五七年一一月、(有)興産を設立し、同社により「葛西ホール」及び「駅前ホール」の名称のパチンコ店の経営もするようになった。(甲二、乙一の四項、被告本人調書四項)

(四) (有)興産をはじめとする前記関口グループ関連各社は、民蔵が一代で築き上げたものであり、株式や出資持分も民蔵、その妻の千代子及びその娘が独占し、被告が関口グループに出資したことはなかった。民蔵は、ほとんど一人で関口グループの経営を担当し、取締役会(有限会社法二六条の別段の定めとして任意に設けられるもの)が開かれるようなことはなかった。(乙一の五・七項、乙二の三・一五・一九項、証人千代子平成七年一二月二〇日調書一七項、被告本人調書一一項)

(五) ところで、(有)興産の経理については、今和泉辰彦税理士(以下「今和泉税理士」という。)が週に一、二回、関口興業(株)の本店事務所に来て、(有)興産の売上伝票、出金伝票、納品書及び請求書等を受け取ってこれを整理し、会計帳簿に記入した。今和泉税理士は、右伝票等を全てその自宅に持って帰って保管していた。(甲七の一の一から三及び甲一五の各「法人の事業概況説明書」の「税理士等の関与状況」欄、乙二の八項、被告本人調書五・二二項)

また、その他の関口グループ各社の経理については、林正巳税理士の父の林龍一(以下「林」という。)が週に二、三回、関口興業(株)の本店事務所に来て、伝票類を受け取って、会計帳簿に記入するという方法を採っていた。(乙二の八項、被告本人調書六・二二項)

2  ((有)創業の経営の悪化と(有)興産の資金流用)

(一) (有)創業は、金融機関から融資を受けて土地建物を取得し、これを(有)興産以外の関口グループ各社に賃貸するという形で経営を行っていたところ、昭和六二年、市原市柿崎及び八千代市八千代台の土地建物を合計約一七億九〇〇〇万円で購入した。これに伴い、金融機関からの借入金額は、昭和六一年に約六億一〇〇〇万円だったのが、昭和六二年には約二九億四〇〇〇万円となり、関口グループ各社からの賃料の支払いで利息を支払っていくことは困難になり、資金繰りが悪化していった。そこで、民蔵は、黒字を出していた(有)興産の売上金を(有)創業の利息の支払いにあてるようになった。(甲七の二・三の各「貸借対照表」の「現金」及び「当座預金」欄、甲八の二の「借入金及び支払利子の内訳書」、甲八の三の「固定資産の内訳書」及び「借入金及び支払利子の内訳書」、証人千代子平成七年一一月一五日調書九・一〇・一五から一九頁、同平成七年一二月二〇日調書二五から二七項)

(二) 民蔵は、平成三年一月ころ、入院し、同年二月一日、死亡した。そのため、千代子が、関口グループ各社の代表取締役となり、以後関口グループの資金繰り等にあたることになった。(乙一の八項、乙二の一〇項、証人千代子平成七年一一月一五日調書一・四頁)

3  ((有)興産の倒産)

千代子が関口グループ各社の代表取締役に就任したとき、関口グループの借入金の総額は少なくとも五三億円以上あり、経営は既に相当悪化していた。そのため千代子は、毎日関口グループ各社から集金した金をそのままグループ各社のうち決済資金の不足している会社の口座に入金してその場をしのいでいたが、このような操作によりグループ各社間の貸し借りの関係がどうなるのか千代子にはよく分からなかった。その当時、(有)興産はそれ自体としては黒字であったが、その売上金は右のようにして(有)創業を含む関口グループ各社のために使われていた。(証人千代子平成七年一一月一五日調書三・七から一〇・一五から一九・二四から二六頁、同平成七年一二月二〇日調書一・一九から二一項)

千代子は、平成三年夏ころ、さくら銀行に三億円の融資の申込みをしたが断わられたため、関口グループの一つである有限会社啓地産業の長瀬支店を売却して経営危機を脱しようと考えたが、同年九月、進行していた右売却の話も壊れてしまった。このため、千代子は、経営継続を断念し、同年一〇月二〇日、関口グループの各店舗を閉め、(有)興産は平成三年一〇月二一日に、(有)創業は同月三〇日にそれぞれ不渡りを出して事実上倒産した。(甲四、証人千代子平成七年一一月一五日調書一四・一五・二七から三一頁、被告本人調書一五から一九項)

4  (被告の身上・経歴・(有)興産における地位)

(一) 被告は、昭和一七年に生まれ、新潟県の中学校を卒業した後上京し、民蔵が経営する関三商店に入り、生菓子を作る職人として働いた。昭和四六年、関三商店は、関三商事株式会社(以下「関三商事(株)」という。)となり、被告は、そこで文房具の販売を担当するようになった。(甲一三、乙一の一項、被告本人調書一項)

(二) 被告は、昭和四六年以降、関三商事(株)の出向社員として、葛西ボウルのボーリング場部門のプロショップの店員並びにパチンコ店のホール回り、釘師及び店長になるなどして右の営業を手伝った。(乙一の二項、乙二の三項)

(三) 民蔵は、(有)興産を設立した昭和五七年一一月に、事前に被告の承諾を得ることなく、被告を(有)興産の取締役として登記手続きを行ったが、登記後にこれを聞かされた被告は若いときからの恩義からこれを承諾した。また、被告は、昭和五九年から、「葛西ホール」のマネージャーとして、釘調整やホール回りをするようになった。(乙一の六項、乙二の一六項、被告本人調書四・一二項)

(四) 民蔵が、平成二年六月ころ病気のため二〇日間ほど入院し、被告は、民蔵の退院後の同年の夏、民蔵から、「疲れるので小切手のチェックライター打ちだけでも手伝ってくれないか。」と頼まれ、(二)の葛西ボウルのマネージャー業務の傍ら、(有)興産以外の関口グループが経営するパチンコ店等から送られてきた売上伝票、出金伝票及び請求書等を機械的に整理し、これを今和泉税理士及び林に渡すようになった。そして、被告は、両名から指示された年月日、金額等を見ながら、小切手に日付を記載して金額をチェックライターで打ち込んでいった。被告は、右作業の後、小切手を切り離すことなく小切手帳のまま民蔵に渡していた。(乙一の八項、乙二の四から七項、被告本人調書四項)

もっとも、被告は、経理については、学校においても仕事上でも勉強したことはなく、決算書類や確定申告書を読めるだけの知識はなかった。(乙二の九項、被告本人調書三項)

(五) 平成二、三年当時の被告の給与は月額六〇万円程度であり、これ以外に被告が役員報酬等を受領したことはなかった。なお、右金額が定められた経緯は次のとおりであった。

被告は昭和五五年ころから、民蔵に金銭を貸すようになり、最初は五万円や二〇万円だったが、次第に額が大きくなり、民蔵の死亡までには貸付金の合計は約八〇〇万円にもなった。これに関し、民蔵は、「お前には借金があり申し訳ないので、毎日の売上げからとりあえず二万円ずつ受け取ってくれ。」と言うので、被告は、それ以来、給与明細等もないままに、葛西ボウル等の売上金の中から毎日二万円ずつ(月額約六〇万円)を受け取っていたものである。(乙二の一四項、証人千代子平成七年一二月二〇日調書一五項、被告本人調書三八・三九項)

(六) 被告は、千代子が関口グループ各社の代表取締役になった後も、民蔵が存命中と同じように、経理の仕事を手伝っていた。(証人千代子平成七年一一月一五日調書二三・二四頁)

二  被告の責任について

前記一の認定事実に基づいて、被告の責任を検討する。

1  前記のとおり、被告は、(有)興産の取締役であり、代表取締役民蔵及び千代子の業務執行の全般についてこれを監視し業務が適正に行われるようにすべき一般的な義務を有し、このことは被告がたとえ名目的に就任した取締役であっても変わるところはないというべきである。

そして、前記のとおり、(有)創業をはじめとする関口グループは、平成三年二月当時五三億円にものぼる巨額の負債をかかえ、経営破綻に瀕していたのであるから、いかに関連会社であるとはいえ、返還の可能性を度外視してそのような会社に(有)興産の資金を投入する(その時期、方法、数額について特定性に欠ける点があるが、その点はひとまずおくこととする。)のは、同社の業務執行としては違法、不当なものというべきである。

被告は、(有)興産の経理を手伝っていたのであり、同社の資金の使途を知ることは可能であったのであるから、(有)興産の取締役としての任務を懈怠し、右のような違法な業務執行を是正すべき義務に違反したとみる余地がないとはいえない。

2  しかしながら、第一に、民蔵存命中については、前記認定のとおり、①被告は、中学を卒業以来、民蔵のもとで働いてきたものであって、常に民蔵の言うことに従ってきたこと、②したがって、被告は、経営手腕も経理の知識もないが、民蔵から頼まれ恩義の念から名目上(有)興産の取締役に就いたに過ぎないこと、③被告は、月額六〇万円の給与を得ていたが、これは被告が民蔵に金員を貸し付けていたことが背景にあり、取締役として特に報酬を得ていたとばかり評価するのは相当ではないこと、④(有)興産は、二店のパチンコ店を経営する民蔵のワンマン会社であったことが認められ、このような中で被告が民蔵の行為を阻止することは著しく困難であったものと認められる。

すなわち、仮に被告が民蔵の指示に背き、(有)興産の資金を関連会社に投入しないようにしても、民蔵は別の者に命じてでも自己の方針を実現したであろうと考えられる。また、仮に被告が民蔵の方針に異を唱え、右資金投入の方針の是正を勧告したとしても、民蔵はそれを聞き入れたとは考えられない。したがって、(有)興産の資産保管義務及び代表取締役による監督義務のいずれの面からみても、被告の対応と(有)興産の倒産及び原告の損害との間には、因果関係がないといわざるを得ない。

3 第二に、民蔵死亡後については、確かに、ワンマン経営であった民蔵にかわって、民蔵に比べて経営能力に乏しい千代子が代表取締役になったことは認められる。 しかしながら、前示のとおり、民蔵は、(有)創業を筆頭とする関連会社八社について、各社ごとの経済的独立性を意識することなく、いずれも自己所有の会社としてこれらを一体のものと考えていた。そのため、民蔵は、資金繰りに窮するようになった昭和六二年ころより、右各社の存続を図るため、右各社の日々の売上金を全て手元に集めたうえ、これを右各社のうち手形等の決済資金に窮する会社の口座に必要な分だけを振り込むという方法で、かろうじて右各社の不渡倒産を免れるという状況におかれるようになった。民蔵死亡当時も関口グループの資金繰りは右のような方法で行われていたものであり、千代子は、関口グループの経営を民蔵から引き継いだ際、右のような資金繰りの方法を当然のものと受け止め、それ以外の方法はないとして、民蔵同様、(有)興産の売上金を関口グループ全体の存続のための資金として使用するようになった。

右事実のとおりであるから、右のような状況のもとで、被告(単純な業務に従事していただけで、経営についての発言力には乏しかった。)が(有)興産の取締役の立場から、千代子の右のような資金繰りの方法に異を唱えたとしても、千代子がそれを聞き入れて(有)興産の資金を他のグループ各社のために使用するのを止めた可能性は著しく低かったというべきである。したがって、千代子に対する被告の取締役としての対処内容と(有)興産の会社財産の減少に基づく原告の損害との間に相当因果関係を認めることはやはりできないというべきである。

三  原告の主張について

1  これに対し、原告は、「被告は、関口グループの総括部長の立場にあり、特に、民蔵が死亡する約一年前からは、入退院を繰り返す民蔵に代わって(有)興産の経営実務の中心にいた。」と主張し、その証拠として、平成二年四月一日以降の都道府県税及び事業税の申告書において被告が経理責任者として明記されていることや被告が昭和六〇年から平成元年にかけて年間一二〇万円ないし二八〇万円の役員報酬を受領していたこと(甲七の一から三、甲一五)などをあげる。

しかしながら、「あの方は実際は内容がよく分からないですから」との千代子の証言(証人千代子平成七年一一月一五日調書二四頁)並びに被告本人の供述態度及びその経理の知識などから考えて、被告は前述のように、民蔵の存命中も千代子が代表取締役に就任してからも、単に経理の手伝いをしていたに過ぎないとみるのが妥当であり、被告が民蔵や千代子に代わって経営を行っていたとは到底認められないというべきである。

2  また、平成二年四月一日から平成三年三月三一日までの都道府県民税や事業税の確定申告書(甲七の四・五)の「経理責任者欄」に「斉藤米元」と記載され「斉藤」の押印がなされているのが認められるが、「自署」とあるにもかかわらず被告の名が「米」と「光」を間違えていることなどからすると、これをもって被告が右申告書の作成者であって(有)興産の経理責任者でもあると認めることはできない(証人千代子平成七年一一月一五日調書五頁)。

3  さらに役員報酬については、確かに確定申告書添付の勘定科目内訳明細書に被告が役員報酬を受領したかのような記載があることは原告主張のとおりであるが、被告が(有)興産から受け取っていたのは、前記一4(五)の給与だけである。右給与は、あくまで民蔵からの貸付金の返済の意味もある従業員としての給与に過ぎないのであって、役員としての働きに対する報酬とは認められない。

したがって、原告の右主張を認めることはできない。

四  以上によれば、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用は民事訴訟法八九条を適用して原告の負担とする。

(裁判長裁判官岡光民雄 裁判官庄司芳男 裁判官平出喜一)

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